今のところキャリアが大事な妊婦

東京都港区在住の会社員がキャリアを模索しつつ、妊娠生活を記録するブログです

日本赤十字社医療センター(広尾)で出産しました。

第二子出産についての備忘録です。

 

 

産院選び

下の記事でも書いたのですが、第一子出産時、帝王切開になったものの、産後の体調不良が長引き、とても辛く、第二子の時は経腟で産後早期に回復して元気に過ごしたいという希望からTOLACができる産院ということで産院探しをしました。

 

TOLACできる産院は都内にもいくつかあるようで探せばボチボチ出てきます。中には無痛でTOLACできる産院(個人の産院ぽかったです)もあるようです。自分としては、個人の産院でなく万が一のことがあっても安心安全に出産できること、家から近いということを条件に決めました。

日赤医療センターは安心安全はもちろんのこと、家からタクシーで通えるうえに、自宅から近いレディースクリニックとセミオープンシステムを採用していたので32週までそのクリニックで健診を受けられることもメリットとしてあり、ほぼ一択でした。

 

日赤の個人的なデメリットは産後のスパルタ母乳育児でした。第一子の時に母乳教の母親から母乳を出させるために頻回授乳のスパルタされて死にかけたので、もう母乳育児はこりごりで混合栄養でほんわり授乳したかったのですが、もはやこれも運命と受け入れて母乳育児はしゃあなしで受け入れることとしました。(退院したら絶対混合にしてやるぞという意気込みがすごかった)

 

妊婦健診

健診は日赤とセミオープンシステムで連携していて、家から徒歩5分強くらいのレディースクリニックに通いました。小さいクリニックなので、土日は予約できるし、平日もほぼ日中に行けばほぼ待ち時間なしで受診できて、毎回4Dで超音波の映像が見させてくれました。クリニックに通っていた時は仕事をしていたので、仕事を中抜けして健診に行ってました。

第一子の時はクワトロマーカー検査して、胎児スクリーニング初期、中期して、とスクリーニング検査をゴテ盛りにやっていました。(生まれる赤ちゃんに問題があったらどうしようと必要以上にビビっていた)が、第二子は問題があっても生まない選択肢はないと思い、初期スクリーニングだけしました。(結果、特に問題はなし)

 

途中、血糖検査でひっかかり、再検査になったりして、ずいぶん焦った思い出もありますが、大きな問題なく、クリニックでの健診は終えました。ずーーーーっと逆子でしたが、医師からは逆子を治すすべはないので祈ってくださいと言われるのみでしたので、日々祈っていました。(逆子体操は意味ないという思想の医師だった)

 

34週から日赤で健診でした。赤ちゃんの成長は何も問題なく大きくなるが、とにかく骨盤位(逆子)から治らないので、1週間おきに健診を受けていました。

初めて受診したときは、受付してから医師に診てもらうまで45分、そのあと、助産師から呼ばれるので待ってくださいと言われてから1時間待ったので、待ち時間がえげつなかったです。(でもこれでもたぶんましな方)しかも、採血してください、と言われるだけで放置されボケーっと待ってたら、採血はなんと自分で採血ルームに行かないといけないんですね!?知らなかったからひたすら待ってたりして、なかなか日赤ルールに戸惑っていました。採血室は銀行の窓口みたいで、番号が書かれた紙を最初に取って、番号を呼ばれたら採血窓口に行って血を取られるという塩梅で、効率化の権化みたいな場所でした。病院が大きいがゆえにいろいろなところに自ら赴いていかなければならなかったのが妊婦的にはとてもしんどかったです。

日赤では35,36週には帝王切開の予定を組むみたいで、妊婦健診を日赤に行き始めて2回目の健診時には予定いつにしましょう!?と言われ、まぢか・・・・と思いつつも、39週で予定を組んだのでした。

 

出産入院

逆子は治ることなく、無事に?予定通り39週で帝王切開にて出産しました。母は切腹のために出産当日と翌日は死にかけていましたが、子供は健康そのもので生まれてくれました。日赤はスパルタ母乳で有名ですが、手術当日から助産師さんが2時間おきくらいに頼んでもいないのに新生児ちゃんを持ってきてくれて授乳していました。助産師さんの献身的な介護もあり、本当にありがたいことに母乳がしっかりでて、赤ちゃんも飲んでくれて、退院するころには母乳育児が軌道に乗ってしまうという予想外の展開になっていました。

本当に助産師さんの母乳に対する熱意がすごいので、こちらもその熱意に負けて完母になってしまった感はあります。その節はありがとうございました・・・

 

入院してから分かったデメリット(というか自分が無知だっただけかもだが)は、ご飯が全然おいしくなかったことです。まじで、毎食テンション下がっていました。ほかの病気で入院されている患者さんとも同じ食事なのでしょうがないのかもしれないけれど、豪華な食事が出る産院に入院してる人のご飯の写真見てうらやましく思うばかりでした。これから日赤へ入院される方、食事内容には期待しないようご注意ください。

 

コロナ禍での出産

おそらく他院でも同様かとは思いますが、入院中の面会は親族であろうが一切禁止でした。ただ、日赤は出産時はコロナ禍でも帝王切開であろうが立ち合いできました。

TOLACに挑戦できるからと思って選んだ日赤でしたが、もしコロナ陽性になったとしても厳戒態勢で帝王切開してくれるとのことだったので、最悪の場合でもなんとかなったので、いい選択をしていたなと後から振り返っても思います。コロナ陽性で受け入れ病院無くて新生児死亡・・・とかいうニュースあったもんな。。

 

第二子の出産を振り返って

第一子の産後が辛かったことから選んだTOLAC挑戦、そして失敗でしたが、第二子がちゃんと夜寝る子(1回か2回は起きるけど)で、母乳を飲めて、母親もちゃんと母乳が出る(もちろん第一子を育てた経験からの余裕もありつつも)というこれらの要因から、帝王切開の産後が辛いのではなく、そもそも第一子が育てにくい子だったのだということがわかったのでした。第一子の時は産後2か月とかまじずっと病んでいましたが、いまはすっきりさっぱり、子どもがカワイイ!と思う毎日です。親のメンタルってマジ大事。ナニ分娩でも、帝王切開でも出産は大変で、そのあとの育児もさらにさらに大変なので、どう過ごすかを産前からシミュレーションして対策を打てるかが産褥期、産後しばらくの重要なポイントなのではないかと思いました。

 

とりあえず、簡単な振り返り記事を書きたかったので、かけてよかった!これだけで育休中にやりたかったことの半分は達成した!(志低い)